2021.04.10
観光情報
【鳥取城大手門復元】江戸時代がよみがえる!威厳を誇る城門「中ノ御門表門」
目次
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鳥取城(とっとりじょう)の大手門復元「中ノ御門表門(なかのごもんおもてもん)」が再現されました。
中ノ御門表門復元と一般開放
鳥取城跡の大手門(城の顔となる正門)にあたる「中ノ御門表門(なかのごもんおもてもん)」が当時の姿に復元されました。
2018年に完成した鳥取城の入り口である「擬宝珠(ぎぼし)橋」を渡った先に、幅約10m 高さ約5mの「中ノ御門表門」はあります。
江戸時代の伝統技術を駆使し、江戸時代の姿が忠実に再現されています。
2021/3/13には記念式典が行われ、一般開放されました。
これに伴い、記念式典前は閉じられていた門ですが、式典のあとは24時開かれた状態で、いつでも くぐれるようになっています。
鳥取城:中ノ御門表門の特徴
中ノ御門表門は、石垣に沿わせて逆ハの字になっているので、形状にも注目してご覧ください。
注意深く観察してみると、門の屋根瓦には、徳川家の家紋「葵紋」があしらわれています。
初代鳥取藩主/池田光仲(いけだ みつなか)が徳川家の血筋であったことから、池田家は外様大名でありながら葵紋の使用が許可されました。
鳥取城:30年間にも及ぶ復元計画
2021年4月現在、石垣などは残っていますが、お城とイメージするような建物などは残っていません。
鳥取城は、3期にわたり30年間(2006年~2035年)かけて鳥取城のシンボルともいえる「二の丸三階櫓(やぐら)」を含めた復元計画が立てられてます。
城郭復元木造橋「擬宝珠橋」と同様、今回の「中ノ御門表門」は第1期として復元されました。
鳥取城
鳥取城はもともと久松山(きゅうしょうざん、263m)に築城された、自然地形が生かされた山城です。
織田信長の命により豊臣(羽柴)秀吉が、用意周到な「兵糧(ひょうろう)攻め」<第2次鳥取城攻め(1581年)>を実施した城としても知られています。
鳥取城は山の上にあり、防御性が高く攻め込むのが容易ではない堅固な城であるため、兵糧攻めの戦法を選んだともいわれています。
鳥取城は戦国時代の山城を起源とし、江戸時代には国内上位12番目の規模を誇った鳥取藩の居城です。
兵糧(ひょうろう)攻め:「腹が減っては、戦ができぬ」
兵糧とは、戦争時における軍のための備蓄された食糧(しょくりょう)のこと。
兵糧攻めとは、籠城して援軍を待っている敵軍に対し、食糧補給ルートを断ち、飢餓状態にさせることで降伏させる戦法。
鳥取市を一望
近年復元された「擬宝珠橋」や「中ノ御門表門」だけでなく、鳥取城の遺構を見るのもおすすめです。
鳥取城はもともと山城だったこともあり、登れば鳥取市を一望することができます。
白亜の洋館/仁風閣も上のアングルから写真撮影することができます。また、山頂まで登れば日本海や鳥取砂丘も眺めることができます。
道は整備されていますが、軽い登山ですので、歩きやすい服装や靴、タオルやお飲み物などお忘れなく。
第2次鳥取城攻め当時の鳥取城主:吉川 経家
歴史好きな方には第2次鳥取城攻め当時の鳥取城主で最終的に自害した吉川 経家(きっかわつねいえ)の像やお墓も鳥取城跡付近にありますので、時間に余裕をもって計画をたてて参拝してみてはいかがでしょうか。
・吉川経家公像
〒680-0011
鳥取県鳥取市東町1-326
TEL:0857-22-3318(鳥取市観光案内所)
・吉川経家 墓所
〒680-0005
鳥取県鳥取市円護寺1161
アクセス
鳥取県との県境にある兵庫県/山陰湯村温泉湧泉の宿ゆあむより車約40分です。
軽い登山で運動した後は、山陰湯村温泉湧泉(ゆうせん)の宿ゆあむに宿泊して温泉やお料理で身体の疲れを癒してくださいね。